第1景の清洲城を訪ねた翌日、仕事の現場は岐阜県各務原市(かかみがはら市)。
ここから見ると愛知県犬山市は木曽川の対岸にあたる。旧国名で云えば美 濃尾 張
国境というだ。ここまで来たのだからと犬山城へも行ってみた。

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犬山城(天守:現存) 愛知県犬山市犬山北古券65-2→Map  日本百名城No.43 連郭式平山城 
別名:白帝城  築城主 : 織田信康   築城:天文6年(1537年) 改築:1617年 成瀬正成
                                                       (撮影:2017年4月再撮影)
犬山城天守は現存十二天守のひとつで国宝指定
やはり復元や模造のコンクリート造りの城とはその存在感が違う!
年月を経た木材の質感にが風格が漂っている。
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2007年登城時、天守への見通しがよかったような。

その犬山城の築城主は織田信康となっている。信康は尾張の織田弾正忠家当主
織田信定の次男で、兄が織田信秀。ということは織田信長の伯父になる。
信康が岩倉織田氏の砦があったこの地に1537年に築城、城主となった。
信康の死後、子の信清 が継ぎ、信清が信長に追われると、池田恒興、織田勝長と
城主が変わった。豊臣の時代になって石川貞清が改修し現在の形となった。 
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天守台の石積み

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天守4階の回廊から濃尾平野を展望すると
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城下、愛知県犬山市と濃尾平野の広がり
尾張富士(275m)や本宮山(293m)も見える。
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本丸の背後を木曽川が守る「後堅固」の構え 。
対岸は岐阜県各務原市かつての国境がそのまま今の県境に。
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そしてひとつ見ておきたかった眺めが、南方の小牧方面。注意して見ると
小牧山の山頂に小さく天守が確認できる。向こうは天守型の小牧市歴史館だが。
犬山から望む小牧山、その距離感をしっかり感じてみたいと思っていた……。

信長が本能寺に倒れた後、山崎、賤ヶ岳の勝利で着々と天下を窺う羽柴秀吉。
信長の次男、織田信雄に担がれたとはいえ、やはり秀吉に易々と従いたくない徳川家康
清洲城に入りさらに小牧山を中心に陣を張った。遅れて秀吉も12万の大軍を率いてこの
犬山城へ入城。時は天正12年(1584年)両雄相対峙したのが小牧長久手の戦いだった。
ここがまさにその戦場だったのだ!詳しい解説は歴史小説に任せた方がいいだろう。
 (あくまで歴史小説なので軍勢の数などにやや誇張があるようだが……)

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「新史太閤記」
   天下統一を成し遂げた秀吉の天才とは・・
「覇王の家」
   戦国を終わらせ300年の繁栄の基礎を築いた家康・・
 司馬遼太郎~新潮社

犬山城の天守から小牧山およびその周辺を睨んでみる(この時は秀吉視線だ)
「家康め」と秀吉に成りきって12万の軍勢を部署してしまうという、
ちょっと「危ない人」になってしまうのだった。
ただ、この戦の頃には、今の天守はまだ建っていなかったが! 
それから戦力も小説的誇張があるようでもっと少なかったようだ。
 
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桜の季節に再訪し、撮り足しておいた夕景を添えておく。