築城:1535年
1982年郷土資料館として再建(模擬天守)
山形からJR奥羽本線で3駅、上山温泉駅で下車。
往きの新幹線の車窓からその存在を確認していた上山城へ。
午前中の山形城に続いて一日で二城を観る事が出来た。
奥羽本線に沿って南北に通っているのが羽州街道。
司馬遼太郎「街道をゆく」にも取り上げられている。
「街道をゆく」〜司馬遼太郎
第10巻羽州街道 朝日新聞社
「・・そのほぼ垂直にちかい南下道路が四つの城下町を串刺しに連ねている。・・天童藩が二万石、山形藩五万石、上ノ山藩三万石、それに米沢十五万石である。」
第10巻羽州街道 朝日新聞社
「・・そのほぼ垂直にちかい南下道路が四つの城下町を串刺しに連ねている。・・天童藩が二万石、山形藩五万石、上ノ山藩三万石、それに米沢十五万石である。」
その上山藩三万石の旧城下町で温泉郷。
その象徴として建つ上山城である。
前日、行きの新幹線の車窓から遠目に、またちらつく雪の向こうに見たときには、たいそう風情のある城に思えたのだが……。
例によって模造の天守を載せたアイコンとしての「お城」ということになってしまう。
全国各地に存在する模擬天守って造作が立派になればなるほど、かえって興醒めなのだね。
城主も頻繁に替わっていてちょっと憶え切れなかった。
内部は近代的設備の郷土資料館、上山温泉の歴史や蔵王の自然が紹介され市民の郷土愛
だけは確かに伝わってきた。
だけは確かに伝わってきた。
司馬遼太郎も「羽州街道」では上山の温泉宿に泊まりさらりと通り過ぎてしまっている。
書かれた当時は模造天守はまだなかったようで、氏ならこれをどう評価しただろうか。
書かれた当時は模造天守はまだなかったようで、氏ならこれをどう評価しただろうか。
最上階の展望台から望む城下町と蔵王連邦。
やはり山形は温泉とスキー場ってところに落ち着きそうだ。
名物「芋煮汁」もなかなか行けているが。
あ、それから日本酒も!
今度はゆっくり温泉かな。
じゃぁ また