大和は国のまほろば……良いところであるという意味。
半年前、梅の花の頃、奈良県大和郡山市へ行く機会を得たので、筒井順慶の居城、
郡山城を歩いてきた。筒井順慶が宿敵松永久秀を信貴山城に攻め滅ぼし、信長より
大和を安堵され天正8年(1580年)に築城。
後に秀吉の弟の秀長により紀伊・和泉・大和三国百万石に相応しく拡張された。
現在、追手門、櫓が復原され桜の名所、憩いの場として市民に親しまれている。
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郡山城(本丸i石垣と天守台) 奈良県大和郡山市城内町2-255→Map  続日本百名城No.165
築城年:天正8年(1580年) 築城主:筒井 順慶  改築:(1585年)豊臣秀長 輪郭式平山城
                               (撮影:2009年3月)
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追手門と追手向櫓(復原)
築城主の筒井順慶は「洞ヶ峠」の逸話で有名な大和の戦国武将。 
本能寺の変で信長を討った明智光秀からの援軍要請にどちらつかずの態度で洞ヶ峠まで
兵を出し「日和見」をした後、戦況有利な秀吉側についたというもの。
実際はこの郡山城にこもって時間稼ぎをしたらしいが、確かに「日和見」主義に違いない。

それでも日和見主義を指して「洞ヶ峠」とか「順慶流」と400年以上に渡り揶揄されるとは
順慶さんも草葉の陰で悔しがっていることだろう。一族郎党の生命財産を預かる戦国大名な
ら状況判断、ときに様子見も戦術のうち、皆やってたじゃないかと云っているかもしれない。

関西には筒井氏の末裔は多いらしく作家筒井康隆氏もそのひとり。
私も20代に沢山読んだ筒井作品に「筒井順慶」があったことを思い出し、
少々変色した文庫本をもう一度取り出してみた。
歴史や戦国武将などには興味もなかった20代には今ひとつその面白さが分っていなかった
ようだ。郡山城訪問の前後2回読み直して、久しぶりに筒井康隆世界に引きずり込まれて
しまった。
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「筒井順慶」〜筒井康隆   角川文庫
歴史ものといってもそこは筒井流である。
SF作家の俺(筒井)がご先祖順慶「日和見」の汚名を晴らそうと悪戦苦闘、結局歴史小説と言っても主人公に対する作家の勝手な思い入れで綴られたフィクションに過ぎないではないか!……という歴史小説パロディー。
ドタバタ爆笑と歴史物語が同時に楽しめるのは筒井作品ならでは。
順慶の生涯の天敵で戦国の悪役商会会長ともいうべき松永(弾正)久秀もしっかり登場していて戦国史のおさらいにもなった。

さて筒井作品は笑えても順慶の日和見主義を笑えますか?
毎日の暮らしのなかで天地人よろしく「義」という「正論」ばかりを唱えていれば、煙たがられ遠ざけられるのがオチである。
日和見主義は巧みに隠し、ニセ武勇派、要は演出上手が出世する……とにらんでいるのだが、いかがだろう。

じゃぁ また