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松本城 : (現存天守) : 長野県松本市丸の内4-1→Map                      日本百名城No.29
築城:1504年小笠原氏   城主:小笠原氏(深志城)〜武田氏
石川数正・康長(天守築城1590年〜)江戸期は小笠原〜松平〜水野ほか松本藩の居城

現存天守にして国宝松本城へ。
実に30年ぶりの再訪だったが、記憶は何となく黒っぽいお城だったなぁ、
という程度の頼りないものだった。
で、今回改めてじっくりと眺めてみた。と、これは流石の国宝天守!!!
剛健実直な古武士を思わせる立ち姿に惹き付けられ、しばし見とれてしまった。
外壁の下見板が黒漆塗りで、別名を烏城(からすじょう)という。
国宝四城の中でも黒の松本城と白の姫路城が東西両横綱って感じかも。
 (*注:この登城時、松江城は国宝指定前だった)

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大天守・乾小天守(右)辰巳附櫓(左)と月見櫓(左手前)

城郭城下町の整備、天守の築城を行ったのは石川数正・康長父子である。
石川数正は元徳川家の家老で、家康の側近中の側近だったが、秀吉と
家康が対峙した小牧・長久手戦のあと突然出奔して秀吉側に寝返って
しまった。理由は諸説あって、いまだ謎のままだそうだ。
ま、あるよね、今も昔も人の世は……である。
 
 石川数正が天守築城を始めた1590年頃はまだ戦国末期で、
鉄砲戦も想定した黒塗りの実戦的な城造りとなっているのだそうだ。
確かに平和期の緩い城造りとは違った緊張感を感じたな。 
 
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大天守 と 乾小天守・渡櫓

五層六階、30m近い高さの天守にも登ってみた。
一歩進み一段上がるごとに巨大木造建築の迫力がひしひしと伝わってきたぞ。
最上階の間にざっと30人ほどの観光客が上がっていたが、まだまだ余裕で、
百人でも入れそうな感じだった。国宝しかと堪能したのであった。
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で、松本城下の話をしたいのだが、今回はこれ。
松本駅から城を目指して歩いて来て、もうあと100mで松本城という
ところでビルの谷間の本屋さんに目が釘付け!
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観光客もこの書店を背景に記念撮影していた。
(松本城より先にだ!!)
模造のお城型商業施設って,
いまいち好感が持てないものが多いのだが、
こちらは完成度の高さもに脱帽、もう拍手であった。
古書店というのも良いのもいいんだね。
聞くところ、昭和の大修理(昭和25年~30年)の際、松本城天守を
観られない観光客のために、初代店主が20分の1サイズで改築再現
したのだそうだ。
素晴らしい!現存店主と呼ばせて頂こう。
一見の価値有り、ぜひどうぞ。

では また

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