2014年1月、今年最初の撮影現場は宮崎市ということになった。
前日入りだったので、時間を有効に使い、レンらカーで約50km南に下って
日南市飫肥城(おびじょう)まで行ってみた。
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飫肥城大手門虎口:再建)宮崎県日南市飫肥10丁目→Map 日本百名城No.96
築城は戦国初期の土持氏  1587年伊東祐兵により再興 平山城 1871年廃城
                                   (撮影日:2014年1月)

飫肥は伊東祐兵(すけたけ)が天正15年秀吉より飫肥城を与えられて以来明治の廃藩に
至るまで、14代280年続いた伊東氏五万一千石の城下町である。
……ということだが、薩摩と隣接する地域だけに戦国期には奪いまた奪われの歴史
だったようだ。飫肥城のことは以前読んだ司馬遼太郎の「翔ぶが如く」で知った。

〜飫肥の伊東氏はむかし鎌倉幕府の有力な御家人だった伊東氏で、頼朝から日向の国一面の
地頭職に任ぜられその後さまざまに変遷してわずかに飫肥五万一千石を領する小さな大名
として明治維新に至った。
(翔ぶが如く)

明治十年、西郷薩摩軍が決起すると飫肥士族も結束し精鋭三百余名を送り出し、
そして失った。小藩といえども一本筋の通った潔い藩士の育った藩だったのである。

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大手門(再建)
門は昭和53年(1978年)の再建だが、石垣は正徳3年(1713年)に築かれたもの。

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飫肥城歴史資料館
伊東氏ゆかりの品を展示している。
おなじ本丸敷地内に市立飫肥小学校が建っている。
午後の休み時間で生徒達が校庭を走り回っていた。有名な藩校「振徳堂」の
流れを引き継いだ名門校に通える子供がちょっと羨ましく思えた。

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翔ぶが如く〜司馬遼太郎
第六巻の「地 鳴」の章に飫肥城と
城下のことが詳しく出ている。

江戸封建時代というのは、この程度の
小型の藩ほど学問がさかんであったといえる。
飫肥藩には振徳堂という有名な藩校があって
維新後も子弟の教育に熱心だった。

藩校「振徳堂」と藩士小倉処平、
小村寿太郎
についてもこの本で知った。


人吉城〜熊本城につづきまた「翔ぶが如く」からの引用になってしまった。
ちょうど西南戦争における西郷軍の新退路にあたっているわけだ!

ついでながらひとつ付け足しておくと、飫肥城が出てくる映画がある!
男はつらいよ(またか!!!)〜寅次郎の青春」 のロケ地が日南市油津の町で、
飫肥城のシーンもある。大手門辺りが撮影場所である。
1992年の第45作とシリーズもかなり後半のものだが、港町油津が良い風情なので
是非観て頂きたい。
あと2004年NHK朝ドラ「わかば」のロケ地であったというのが定番のようだが、
例によって私、朝ドラはよく見ないので何も云えない、のだ。

さらに話しが逸れたついでに飫肥名物の「おびてん」をご紹介しておこう。
魚のすり身の天麩羅揚なのだが、豆腐と黒砂糖と味噌が入っており、柔らかくて
ちょっと甘口である。
これを「おび天」と記すと元祖おび天本舗の登録商標になるのだそうだが、
飫肥城下で正にその「おび天」の揚げたてを食した。

旨い、がやはり甘口、個人的には酒の肴には愛媛のジャコ天の方に……。
あ、そこは人それぞれ、好みの問題だ、やはり宮崎ではおび天が最高!
……ということにしておこう(これ宮崎空港でも揚げたてが買えるのだ)

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元祖おび天本舗とおび天

なんか逸れっ放しですまないが、数年来いっぺん行きたいなと思っていた飫肥の城下に
立てたことを素直に喜んだのである。
では来年も引き続きよろしくお願いして、2014年を締め括ろう。

では また