今年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」は吉田松陰の妹、文(ふみ)の生涯を描いている。
時代は幕末から明治維新、主な舞台は長州藩の萩城下ということになる。
山口県の萩市へは10年程前に一度、「萩焼」の撮影で行った切りで、その頃ちょうど
司馬遼太郎の「世に棲む日々」を読んでいたこともあり、仕事の合間に松下村塾だけは
見ておいた。

で、今年「花燃ゆ」が始まると萩と萩城が次の目標となり、強く願っているとこの四月、また
仕事、今回は「萩ガラス」と城下の撮影で行けることになりスタッフに先行して萩入りした。
早速、東萩駅から城下を抜け徒歩で萩城を目指すのであった。(撮影日 : 2015年4月20日)

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萩 城 :  山口県萩市 堀内1-1      別名 : 指月城     日本百名城No.75
                築城主 : 毛利 輝元    築城年 : 1604年    梯郭式平城+山城(指月山143m)

指月山山頂を詰丸とする山城と山麓に本丸、二の丸、三の丸を置いた平城から構成され、
また海に接している海城となっている。
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天守台 : 高さ約11m、美しい扇の勾配を持つ石垣上に五層五階 高さ21mの望楼型天守が
建っていた。三の丸には船着き場が復元されている。

_RSD0070毛利 輝元
関ヶ原の合戦で西軍の総大将に担ぎ上げられ
敗戦、毛利は112万石から37万石となり、
築いたばかりの広島城から追われ長門、周防
二州に押し込められてしまう。
本拠地も山口ではなく、より不便な萩と決めら
れ1604年から築城開始1608年に完成させた。
(長州というのは長門の国の通称だね)
以後幕末に政庁が山口に移されるまでの約250年
毛利氏の居城となった。
後の倒幕、維新の中心となったのは長州と薩摩
という関ヶ原の負け組なので、250年越で輝元の恨みを晴したということなのだ!!!。
余談ながら、その戊辰戦争から150余年だが、
山口県と福島県では、(心情としては)未だに完全和解とはなっていないようである。
いやはや。
 


IMG_0901復元模型 
話を天守に戻すと
JR東萩駅前に1/6サイズの模型をみつけた。
目立たないものの、なかなかの出来である。
この写真を上の天守台に重ねて合成してみる
、というのも仕事がらすぐに出来るのだが、
以前の米子城と同じで、いい加減な捏造写真が
Web上に拡散してゆくのは大変心苦しく、また
本意ではないのでここでも止めておこう。
どうぞ想像で重ね合わせていただきたい。
何だかとても良い感じであるぞ。
ここまで正確に復元できる資料が残っているの
なら是非実際の復元をお願いしたいし、出来れば
伝統木造工法でやって頂きたいものだ。
城下町萩の象徴、まさに萩の点睛が打たれるという感じだと思う。
他のどの天守よりも望まれているような気がするのは私だけではないよ、きっと。

で、大河「花燃ゆ」は半年が経過し、相変わらずの不人気、低視聴率の話題で持ちきちり
だが、私はずっと観ておるぞ。それも結構な嵌りようで、幕末の長州藩から戦国の毛利元就
あたりまで遡ってみて、この藩に興味が尽きないということなのだね。
石見空港からのアクセスの悪さに未だに関ヶ原の恨みが込められていそうだし。

では、最後にもう一度美しい石垣を見て頂きながら、次へ向かいたい、と。

では また
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天守台の扇の勾配が美しい!!!