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上田城(南櫓と西櫓:現存):長野県上田市二の丸2→map    日本百名城 No.27
   築城年:1583年 築城主:真田昌幸 別名:尼が淵城、真田城 梯郭式平城
                        (撮影:2014年6月、2015年8月)
本日2016年1月10日、NHK大河ドラマ「真田丸」が始まった!
行ったまま放ったらかしの城が15城ほどあって、上田城もそのひとつだった。
今日を逃したらまたまた先送りになること必至なので、大急ぎアップしよう。
「真田丸」はここじゃない、でも真田の城「上田城」の巻である。

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南櫓、北櫓と東虎口門
真田昌幸が天正11年(1583年)に築城した上田城。千曲川の支流尼が淵の河岸段丘上にあり、
現在公園と駐車場になっているこの断崖の直下まで川の流れが迫る天然の要害だった。
完成と同時に徳川家康の攻撃を受け、これを撃退する。さらに関ヶ原の合戦時にも、
秀忠率いる徳川の大軍を足止めにし堅城ぶりと真田の武名を天下に示したのだ。
関ヶ原で東軍に付いた真田信之は家康により上田城主の座を安堵されたものの、元和8年
(1622年)徳川秀忠の命で松代城へと移封された。上田城は徳川により廃棄処分とされ、
徹底的に破壊された(またか!家康は恨みを晴らしたというわけだ!)
信之転封後に仙石忠政が入城し幕府の許可を得て現在のような形に再建した。
忠政が病死した後は再建は中断し仙石氏3代、その後は松平氏7代で明治維新を迎える。
今に残る櫓や石垣はこの仙石氏時代のものだ。

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東虎口門(1994年再建)と南櫓(左)北櫓(右)
 南櫓と北櫓は現存、明治の頃には上田遊郭に払い下げられていたものを、昭和18年から
24年にかけて再移築したもの。下見板張りの外観が印象。もとは7基の櫓があった。

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真田石
虎口脇の石垣に組み込まれた所謂鏡石で直径3mの大石。
真田信幸が松代移封の際に、父昌幸の形見として持ち去ろうとしたが、不動であった
...との伝説がある(あれ、さっき仙谷氏の築城と言ったばかりだが……。)
上田城の石垣の大半は北郊の太郎山産の緑色凝灰岩だそうだ。

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真田神社(本丸跡)真田、仙石、松平と歴代城主を祀ってあり、開祖の名を取り真田神社。

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本丸堀 隅落とし 
東西に長い長方形の本丸の北東隅(丑虎)を切り込んだ跡
「鬼門よけ」として城郭ではよく見られる構造。

とにかく町を挙げて「真田の城」で、仙石とか松平とか言ってはいけない雰囲気だよね!
ま、ここは長いものには巻かれておこう。今回二度目の登城で、尼が淵側はもちろん北側の
堀もじっくりと見て回り、小規模な城ながらなかなかの堅城だと実感した!
 
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二の丸空堀跡の欅並木(現在遊歩道として市民に親しまれている)
堀も関ヶ原合戦後に徳川により埋められたが仙石氏により再興された。

ただここ上田城にかぎらず、城跡は市民が集う公園となっていて、例によって例の如く
桜の木だらけ、古木はもちろんまだ若い木も植え放題。その他の樹木も伸び放題で折角の
建造物、堀や石垣がよく見えない。私が言ったところで無駄だとは思うけど!
おっと、折角の大河スタートの日に余計な憎まれ口はこの辺でやめておこう。
真田一族と真田ゆかりの地が注目を集める一年がスタートした、期待はしている!
もちろん。

じゃぁ また

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再 訪 
2018年4月(4年ぶりに)上田城へ撮影に行った。
真田石を撮り直しておいたので、アップ。
早朝に行ったらまだ朝日がまだ逆光の状態だったので、太陽が真横に回り込むまで
1時間ほど待っていた。(石垣写真集に収録)
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