JR「青春18切符」は当日乗り放題なので、川中島のあと長野駅から次の目的地上越市まで
乗り継ごうと思ったが、旧信越本線が「しなの鉄道北しなの線」「えちごトキめき鉄道
妙高はねうまライン」
(長ッ!)という三セクでの営業になっていて18切符は使えない!
で、渋々と別料金を払い妙高高原で乗り換え、夕刻に新潟の直江津駅に到着した。
一泊して翌朝向かったのは川中島決戦のもう一方の将、上杉謙信春日山城だ
天気に恵まれたので春日山駅から徒歩で向かい、中腹の上杉謙信像に迎えられ、さらに
戦国の巨大山城への登城を開始した!これも桜満開、春の日の酔夢譚である。

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春日山城  新潟県上越市大字中屋敷字春日山→Map      山城  日本百名城No.32
    別名:蜂ヶ峰城 築城:南北朝時代 築城主:上杉氏  (撮影日:2016年4月9日)

南北朝の頃、越後守護の上杉氏が有事の際の要害として春日山に築いた山城に始まる。
戦国期に入ると守護代・長尾為景が実権を握り、春日山城を本格的に整備強化する。
為景の子・長尾景虎(後の上杉謙信)は19歳で家督を相続、山城をさらに要塞化し越後
統一の拠点とした。謙信が各地へ遠征できたのは春日山城の鉄壁の守りがあったからだ。

謙信が49歳でその波乱の生涯を閉じると、養子上杉景勝が後継者として入城したが、
慶長3年(1578年)豊臣秀吉の命で会津へ転封となり、まもなく春日山城は廃城となった。
義に生きた孤高の武将上杉謙信、四十九年一睡の夢の跡である。

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本丸跡
春日山の尾根を削平して造った多数の曲輪を連携させ、土塁や堀で守りを固めた典型的な
中世山城で石垣は使われていない土の城である。
大手道から登って行くと、景虎(北条氏秀)屋敷跡、米倉、などの曲輪を通って城内の最も
高いところ標高180mの本丸跡に達する。ここからかつての城下が望まれる。
日本海と直江津港、頸城平野を取り囲む山並み、高田城下と一大パノラマである。

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毘沙門堂 (再建)
上杉の旗印に「毘」の文字が使われているように、謙信は毘沙門天に深く帰依していた。
戦の前には毘沙門堂に籠もり戦勝を祈願し、また思索の場であったとも伝えられる。
現在の毘沙門堂は昭和6年に再建されたもの。青銅製、約50cmの毘沙門天像が安置されて
いるのが窺えた。
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景勝屋敷跡
本丸の南西側に広がる曲輪で上杉景勝の屋敷跡とされている。
確定する資料は存在せずあくまでも伝承である。
同じく毘沙門堂の北東側に、景勝の名参謀直江兼続の屋敷跡もあった。小説や映画
・ドラマで馴染みの深い武将がこの辺りを歩いたかと思うと感慨もひとしおである。  

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三郎景虎屋敷跡
三郎景虎は「相越同盟」により人質として小田原の北条氏より送り込まれた北条氏康の
七男である。謙信の養子となり景虎の名も与えられ、また曲輪も本丸に近い位置にあった
ことから後継ぎとして有力であったが、謙信急死の後、景勝との家督を争い(御館の乱)で
破れた。

現在長期的な春日山城再建計画が進行中で、たとえば大正・昭和に植林された杉などを
伐採し、春日山の植生を百年前に戻すというのもそのひとつである。結構なことだ
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井戸曲輪の大井戸
山城のほぼ山頂部なのに大井戸があり、いまでも水が湧いている。
日常のまた戦時籠城用に水の手が確保されていたのだ!これには驚いた。

以下は山の麓、城下町部分である。
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林泉寺・惣門(手前)と山門(奥):
守護代・長尾 能景(謙信の祖父)が明応6年(1497年)に 創建した長尾氏の菩提寺。
惣門は春日山城の搦手門を移築したものと伝えられる。山門は大正14年(1925年)に謙信公
生誕400年を記念して再建されたものである。山門の扁額「第一義」は謙信の書(複製)。
末子だった虎千代(謙信)は7歳でこの寺に預けられた。 家督を継がない男子には当時よく
あることで、14歳で元服し長尾景虎と称するまでの間ここで学んでいる。さらにのち景虎が
上杉氏を継ぐと上杉氏の菩提寺となった
(春日山駅から麓のこの寺までゆっくり歩いて30分位掛かっただろうか) 

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東城砦(とうじょうとりで)と監物堀(復元)
上杉景勝が会津へ転封されると、豊臣家臣の堀秀治 が30万石で入り、堀(監物)直政が
堀の普請を行った。秀治は山城が時代遅れとなったことから直江津港近くに福島城を 
築き本拠を移したことで春日山城は廃城となり、忘れられることとなった。
現在は外堀の監物堀1.5kmを復元するなど長期計画で整備事業が進行中である。

春日山城の全体像を掴みたいと思い、今回は全て徒歩で通してみた。
実際、路線バスなど便数も少なく、案内表示等も分かりにくい。城跡、観光スポット
としての受け入れ体制は十分とは言い難かった 。英雄謙信の城だからと、近世城郭の
イメージしか持たない一般の観光客にはただの山登りで終わってしまいそうである。
ただ私自身は桜の季節の好日に、5時間程かけて10kmほど歩き、十二分に山城を堪能でき、
強く印象に残る城歩きだったとひと言添えておこう。

百聞は一見にしかず、先ずは行ってみようよ!

じゃぁ また