滋賀県を訪れる度に、点在する近江の城と城下町を歩いてきた。
近江八幡市もそのひとつあるが、以前二度の訪問時には十分な時間が取れず、
八幡山城への登城が先送りになったままだった。やっと2018年秋と2019年初夏と、
続けて登る機会を得たので、今回はその八幡山城から酔夢譚をおとどけしよう。

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八幡山城(本丸跡:瑞龍寺門跡):滋賀県近江八幡市宮内町19→Map  続日本百名城No.157
別名:近江八幡城  築城 :1585(天正13)年 築城主:豊臣秀吉,秀次   廃城年:1595(文禄4)年 
                                                                     (撮影:2018年11月・2019年5月)

まずは→Mapで八幡山城の地理的な位置を見ると、此処は琵琶湖畔、まさに戦国街道
と呼ばれる近江平野のど真ん中、要衝の地である。城は標高283m(比高100m)の独立丘陵、
鶴翼山、通称八幡山の山頂部に築かれていた。 写真2~3は城下の八幡堀から見上げた写真と
GoogleEarthの画像である。ともに現在のロープウェイの山上駅とラインが見て取れる。
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八幡山八幡堀
今は埋め立てで陸地となっているが、築城当時は琵琶湖の内湖が東西の山麓まで回り込んで
いた。琵琶湖へ直結し、城下を囲んでいたのが八幡堀である。防御施設の堀として、また
運河として商工業の発展に寄与し、廃城後も明治・大正期まで使われた。

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築城とその後の経緯を辿っておくと、
本能寺の変(1582年)で信長が斃れたあと、山崎の合戦で明智光秀を下し、続く賤ヶ岳の戦い
(1583年)で柴田勝家を破り、信長の後継者としての地位を固めつつあった羽柴秀吉。
その秀吉が大坂城につづき、天正13年(1585年)近江の地の軍事、経済の中心として自ら普請
を指揮し、新たに築城したのが八幡山城である。
城主には甥の秀次(18才)を置き、補佐役の筆頭家老田中吉政と合わせて43万石の城下とした。
秀次は天正18年(1590年)に尾張清洲城へ移封。代わって京極高次が入城。
文禄4年(1595年)秀次事件で秀次は切腹となり、築城から10年で八幡山城は廃城となった。

城郭は、山頂部の山城と、山麓の居館部分からなり共に総石垣造りである。
山頂部には、本丸、二の丸、北の丸、西の丸と出丸。山麓に秀次居館がある。
城下に家臣の屋敷を配し、内堀を掘った。旧安土城下から有力商人や職人を移住させ、
社寺を移転し城下町を形成したのである。

では登城順路に沿って見ていこう。
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二の丸下の石垣とお願い地蔵尊
麓からロープウェイで山頂に上がると、まず二の丸の石垣を見ることになる。
近世城郭の石積みを確認し、気分を高揚させつつ順路に沿って回り込むと、「お願い地蔵尊
が祀られている。 民間信仰のお地蔵様なので、戦国期の八幡山城とは直接関係はないが、
失礼のないように気を使いながら通過する。曲輪と曲輪をは帯曲輪で繋がれている。

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本丸下の石垣
さらに本丸下の石垣が現れる。この辺が石積みとしては見所だろう。
本丸には天守台があり天守が建っていたという。いま生い茂る樹木も、往時は無かったはず
で、麓から見上げた総石垣の城は相当に威厳があり、光り輝いていたに違いない。

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本丸跡(瑞龍寺)
秀吉の姉で秀次の母、智(とも)が、秀次の菩提のため京都村雲に創建した日蓮宗の寺。
村雲御所とも呼ばれた。昭和36年(1961年)ここ八幡山に移された。
ここから本堂を見るのみだが、本丸の規模が凡そ確認できる。
写真1の門が本丸虎口跡で外枡形の構造となっていた。 
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北の丸跡からの眺望
六角氏の観音寺城があった繖(きぬがさ)山と、その峰続き、安土城の安土山。
直線距離で5.5Kmくらいか。八幡山城の選地、縄張りの発想はそのまま信長の安土城の
設計思想を受け継いだものだろう。

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西の丸跡からの眺望
琵琶湖の水運を利用して、京、大坂と結ぶ。

城下にもどって
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日牟禮八幡宮

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八幡堀

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豊臣秀次 像
麓の八幡山公園に建つ束帯姿の秀次像。

豊富秀吉に関する史実や歴史小説に接する時、秀吉の身内のことは避けて通れず、
その度にやや気分も沈みがちになるのは、その誰もが決して幸福な人生を歩んだとは
言い難いからである。一代の風雲児秀吉、日の出の勢いの秀吉の陰で翻弄された続けた
人たちといっていいだろう。
特に甥の秀次は、その振り回され方が尋常でない。「殺生関白」など毀誉褒貶相半ばする
秀次像であるが、これまで秀次主体の本を読んでいなかったことに気づき、歴史小説から
一冊選んで読んでみた。 
有明の月
「有明の月」〜豊臣秀次の生涯:澤田ふじ子(廣済堂文庫)
文武に励み深い見識を備えながら心無い讒言により悲運の最後を遂げた秀次の生涯」
となっていて、女性目線で寄り添い、この秀次は正に白皙の貴公子として描かれている。
「有明の月」とは明るい時間に出る月のことなので 、日が強いほど霞んでしまう。
なるほど秀次の人生 を言い得て妙である!

 廃城から四百二十年、さらに明治、大正、昭和、平成という現代史のなかで
八幡山城跡である八幡山は格好の展望台となり観光施設化された。
現存する高石垣には生活のための配線、配管が這い回り、歴史遺産としては
惨憺たる有様となっているのが淋しい。続百名城に指定されたことでもあり、
十分な調査のうえ補修、保存、復元を期待したい。
それから今回も麓の秀次居館の方へ回る時間がなかった。
近江はまた近々来ると思うので、次回きっと確認し、追加で記載したい。

では また。