首都60km圏の茨城県土浦市、都心から電車、車ともに1時間強で行ける土浦藩の藩庁だった
城である。では早速。
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土浦城(太鼓門 現存)  茨城県土浦市中央1→Map    輪郭式平城  続日本百名城No.113
別名:亀城  築城年:永享年間(1429~1441年) 築城主:若泉三郎  改修者:松平,西尾,朽木,土屋氏(撮影:2020年6月)

プロフィールに記した通り、室町時代の永享年間(1429~1441)、若泉氏によって土浦城は
築かれたという。しかし、その以前から土豪による築城と城主の入れ替わりが繰り返されて
いて、実のところ土浦城の始まりは不明ということらしい。
その辺は特に郷土史に興味があるとか、研究者でもなければ深入りする必要はないだろう。
私のような城旅びとは、今に残る土浦城跡の元になった江戸期以降の歴史を知っていれば
十分ではないだろうか。

関ヶ原合戦後の土浦城は徳川譜代の大名が入れ替わり城主を務めている。今でいう首都60km
圏であり、江戸城防衛上重要な城のひとつであっただろう。
土浦藩の初代は松平信一3万5千石、以後は西尾氏2代2万石、朽木氏2代3万石、土屋氏
2代4万5千石、松平氏1代
2万2千石、貞享4年(1687年)以降は土屋氏9万5千石で十代
続いて明治に至っている。土屋氏の9万5千石は常陸国では水戸藩に次ぐ第二の藩であった。
増改築を繰り返しながら二百六十余年続いた徳川の城と城下町土浦である。

では、現在「亀城公園」として整備され、続日本百名城に指定された土浦城跡を歩き、
往時の様子を想像してみたい。
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東櫓・霞門
本丸など中心部は二重の堀で守られ、さらに城域全体が霞ヶ浦から引き込んだ三重四重の
堀や水路に囲まれていた。土浦は水害の多い土地だったが、城は水没を逃れ水に浮かぶ亀の
甲羅を連想させたことから亀城(きじょう)の別名を持つことになる。
東櫓
西尾氏の時(1620~)、西櫓とともに本丸土塁上に築かれた。この辺が同時期に櫓門に
改修された太鼓門とともに、往時の土浦城 らしい風景ではないか。霞門も現存の門である。

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土浦城城絵図(常陸国新治郡土浦城図)
隣接の土浦市立博物館で販売中の城絵図を購入した。A1版 200円。
絵図を見ると水戸街道の南側の出口に角馬出、また北側には丸馬出が描かれている。
この馬出は貞享年間(1684~87年)松平信興の時に築かれたものなので、絵地図もその頃
描かれたものだろう(絵地図の制作年が記されていないので推測)。

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GoogleEarth
現在の土浦城跡(亀城公園)は本丸、二の丸、三の丸という城の中心部だった区域で、
周辺は開発によって市街化されてしまった。絵図のとおり、江戸期には霞ヶ浦の湖岸が
今よりも西寄りで土浦城に迫っていた。というより湖岸近くに城を置き、湖水を堀まで
引き込んだ縄張りになっていた、と考えるほうが妥当だろう。

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東 櫓 ・土塀
譜代の西尾氏(西尾忠永・忠照)が城主の頃(元和年間)西櫓と共に建てられた二層二階の櫓。
東櫓は明治時代に火災で焼失、平成10年(1998年)復元された。

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本丸土塀(復元)
本丸土塁上に巡らされた土塀。土塀の形状が描かれた絵図と土塁の発掘調査の結果をもとに
復元された。鉄砲狭間も設置。

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東櫓内部(二階) 土浦市立博物館の付属展示館
隣接の市立博物館の入場券(105円)でこちらの櫓内にも入場できる。

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東櫓内部(一階)
櫓門(太鼓櫓)の太鼓と西櫓に載っていた鯱の展示

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本丸跡
堀と土塁で囲まれた 95m x 55m の本丸跡。土塁は往時は屏風折れに屈曲して築かれていた
というが、現在は直線になっている。櫓門(太鼓櫓)が本丸正門となる。

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西 櫓
東櫓と同時期に建てられた櫓。こちらは昭和24年(1949年)関東地方を襲ったキティ台風に
より損傷。復元を前提に翌年解体されたが、その後長く放置されていた。
平成4年(1992年)保管されていた部材で復元された。 

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二の丸跡
亀城公園としてよく整備され、市民の憩いの場として親しまれている。登城当日も子供たちを
遊ばせている多くの家族を見かけた。

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土浦市立博物館

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土浦城関連の展示
写真右奥に城絵図が展示されている。制作年代は正保年間となっていて、これは幕府が諸藩に
提出、報告させた正保城絵図ということになる(実物だと思う)。
正保城絵図は現在63葉を国立公文書館が保管し、デジタルアーカイブとして誰でも利用が可能
である。しかし、この土浦城の絵図は公文書館カタログから漏れている。

とすると、この城絵図は明治以後に江戸城紅葉山文庫から持ち出され土浦へ戻ってきたもの
だろうか? それとも最初から提出用と保管用に正副二葉が作られたうちの一葉だろうか?
これが今回一番気になったことであった。今度改めて訊いてみよう(いま休館中なので)。 

先ほどの博物館で購入した絵図より年代が古いので、南北の馬出はまだ描かれていない。

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博物館の入場券で東櫓にも入れるし、ほぼ土浦城に特化した博物館なので必見である。

江戸期を通して土浦藩は大きな事件もなく、また幕末の激動期もなんとか乗り切り無事に
明治を迎えたのである。
最後にもう一度、重文の櫓門を見ておこう。無事これ名馬、いや名城と言ってもいいかな!!!

では また。
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