十月のある日、仕事で岐阜へ向かう道中、名古屋で新幹線を降り、
東海道本線で二駅目の駅、清洲へ向かった。目標は清洲城
 
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清洲城(模擬天守) : 愛知県清須市朝日1-1 map 別名:清須城 平城
築城主:斯波義重   築城年:1405年  廃城:1610年 (撮影:2007年10月)
                
清洲はかつて尾張の中心地。清洲城は尾張守護代・清洲織田氏の居城だった。
永禄3年(1560年)には若き織田信長が奇跡的勝利を収めた桶狭間の戦いへ向け、
ここ清州城から出陣したこともよく知られている。
天正10年(1582年) 信長が本能寺の変で没したのちの相続会議(清洲会議)では
羽柴秀吉が信長の後継者として頭一つ抜け出したが、清洲城は織田家次男織田信雄の
居城となり天守や書院が建てられた。
しかし、当時の絵図や図面等の史料は残されていないため、 現在の望楼型天守は
模擬天守である。平成一年に建てられ、内部は歴史資料館となっている。

江戸時代以前に建造された天守が今も残っているのは全国で十二城だけ(現存十二天守)。
ほとんどの天守は復元されたり、またこの清洲城のように模造されたものなのだ。
しかし、それでも人が城を訪れ、天守を見上げ、また最上階から城下を眺めてしまう
のは群雄割拠した戦国時代への想い、浪漫というものだろうか。
実際に城跡に立ってみて戦国武将や各地の合戦に思いを馳せる…….。
そんなとき、時差の埋め合わせに必要なのは自身の想像力だけとなる。

再建された天守や櫓、残された石垣がそんな想像の助けとなるのだが、
特に天守は一見しただけでその城の存在を表す象徴、アイコンとして存在している
のかもしれない。清須城の天守を見上げながらそういう思いを強くした。

清洲城公園の織田信長像                 清洲古城の天守台跡には信長を祀る社が建つ。
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さらに歴史小説はそんな想いをより一層かき立ててくれる名脇役ではないか。
昨年そんな城跡、歴史ファンに嬉しい一冊が出た!!!
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「司馬遼太郎と城を歩く」:光文社
司馬作品に登場する城から35城を小説の抜粋とともに紹介。城下町のガイドも付いて
「….司馬遼太郎と城を歩く初めての本」~とある。
既読の作品も多く城歩きのガイドにもなりそうなので、すぐに購入してしまった。

その巻頭、清洲城の項で取り上げられているのが「国盗り物語」。
~戦国の梟雄斎藤道三から娘婿織田信長へと受け継がれる国盗りの夢!
NHK大河ドラマにもなった代表作だ。活きいきと描かれる戦国武将の生き様。
この作品で司馬遼太郎ファンになった方も多いと聞く。

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五条川ごしに見る、天守(歴史資料館)、御殿(芸能文化館)、大手門  (2017年4月撮影)

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古城公園に発掘された石垣が展示されている。  (2017年4月撮影)

さて、その後の清洲城。
1610年、家康の時代になり名古屋城築城の際に、尾張の中心は清洲から名古屋へと
移された。清洲と名古屋城は距離にして6Kmほどだ。この遷都(清洲越し)の際に
清洲城の建物、石材等が名古屋城築城に利用された。特に名古屋城の西北隅櫓は
清洲城小天守の材で建てられたと言われ「清洲櫓」の名を今に残している。

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これは名古屋城の西北隅櫓「清州櫓」現存の三層櫓では最大規模の建物。

現在、駅前再開発などで活気にあふれる名古屋にくらべ何とも静かな清洲の町。
歴史の因果は今も続く。
秋の一日、濃尾平野の広がり、岐阜や名古屋そして桶狭間との距離などを想いながら歩いた
2時間ほどの歴史散策であった。
このあと何城歩けるかは分からないが、行けるだけ行ってみようと思う。
以後よろしくお願いして、第一話を終了しよう。

(清洲城は東海道新幹線の下りで名古屋を出てすぐ右側の車窓に見えてくるよね)


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追記:その後二度、清洲を訪れる機会があったので、文中に写真を追加した。