これまでに仕事で、またプライベートでも数え切れないくらいこの地を訪れたが、
なんと!今年2008年まで、そのシンボル大阪城へ足を運んだことがなかったのだ。
伊丹空港へ降りる飛行機の窓から何度か目にしたことはあったのだが……。
 
司馬遼太郎も「有名な城の中では、やはり大阪城が好きである」と言っていたし、
津本 陽も大阪城を好きな城に挙げていた。共通するのは一代の風雲児豊臣秀吉
偉業への思い、ということに尽きるようだ。城跡探訪を始めたからには大阪城は外せない。
 
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大坂城(復興天守) :大阪市中央区大阪城1-1  輪郭式平城  日本百名城 No.54
別名:金城,錦城  築城年:1583年 築城主: 豊臣秀吉   1620年 徳川幕府により再築
                            (撮影:2008年7月) 

天守再建のさきがけ(昭和6年)となった大阪城天守。
天守台の石垣に使われている巨石に圧倒されるのだが、実はほとんどが徳川期のものである。
再建された天守も徳川期のものに影響された折衷型となっている。しかし、一般的に大阪城は
豊臣秀吉の城と認識されている。天下統一を成し遂げ、大阪の街を造った秀吉の人気がよく
伝わってくる城なのである。

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 関ヶ原 と 城塞 〜司馬遼太郎
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「司馬遼太郎と城を歩く」における大阪城の項では新史太閤記」「関ヶ原」の二作が
取り上げられている。個人的には「城 塞」が好きだ。大阪夏の陣(1615年)家康の謀略
により外堀は埋め尽くされ、炎上する大坂城とともに豊臣家は滅亡。大阪人が読めば絶対、
家康と江戸(東京)が嫌いになるんだろうな。なるほど大阪のシンボル大阪城であった。

堀に沿って歩いてみると、ジョギングする市民も多く、皇居(江戸城)に
そっくりな雰囲気。違いはやはりシンボルの天守を望めるかどうかということだ。
東京も江戸城天守を再建してみたらどうだろう。オリンピックなど誘致してるより速効で
経済効果があると思うのだが…….。 
まぁ、かつて朝敵とされたこともある徳川家のシンボルだから難しいのか、史料の関係か、
その辺はよく分からないがけど、検討してみてよ。

*(追記:その後、東京は2020年のオリンピック開催地となった。天守再建についても
寛永期の家光時代の天守を木造再建で、という案が浮上しているらしい!!)。 

徳川による再建大坂城の石垣については、いずれまたどこかでふれてみよう。

取り急ぎ今回はここまで。


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南外堀の高石垣 
水堀と高石垣。 現在は一番と六番櫓のみ残るが、かつては七つの櫓とそれをつなぐ多聞
櫓で鉄壁の守りを誇った。城塞感溢れる大坂城の見どころのひとつである。
 
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本丸・豊国神社に建つ豊臣秀吉像 (中村晋也 作)
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